エヴァンゲリオン Q 微妙

寄港したマカオで日本人のキチジローと出会う。キチジローが案内役となり、五島列島に潜入することができた。, 彼は現地にまだ居た隠れキリシタンに会うことができ、布教の足がかりを得るが、やがて長崎奉行所に潜入を悟られ追われる身となる。 Ethnic Foods of Hawai'i: Revised Edition. 聖書、北欧神話、ギリシア神話のカラスだけでなく、日本神話の八咫烏も、ふつうのカラスよりもはるかに大きな体躯をしていたと記紀(『古事記』と『日本書紀』を併せた略称)に記されていることから、ワタリガラスだった可能性が指摘されている。

食のタブー(しょくのタブー)とは、飲食において宗教、文化上の理由でタブー(禁忌)とされる特定の食材や食べ方である。.

聖書、北欧神話、ギリシア神話のカラスだけでなく、日本神話の八咫烏も、ふつうのカラスよりもはるかに大きな体躯をしていたと記紀(『古事記』と『日本書紀』を併せた略称)に記されていることから、ワタリガラスだった可能性が指摘されている。 特定の食材がタブーとされる理由としては、大別して 宗教上、文化上、法律上食べることが禁止されている 心理的な背徳感から食べることができない よく知っている動物や植物もキリスト教では重要な意味を表わす場合があります。その入り口をちょっとだけ覗いてみましょう。, キリスト教美術においては一般に、聖餐の秘蹟におけるぶどう酒、キリストの血、あるいはキリスト自身の象徴でもあります。, 鳩は祭儀的に清い鳥とされ、神への供え物として捧げられました(創世記15:9、レビ1:14など)。, 旧約聖書:ノアの箱舟物語で、鳩はオリーブの小枝をくわえてノアの元へ帰還し、水が引いたことを知らせました(創世記8:8-12)。, 新約聖書:イエスの洗礼の際に現れた聖霊を象徴します(マタイ3:16、ヨハネ1:32)。, カタコンベ壁画においては神の救済の範示の図像となりました。また、三位一体の聖霊の象徴、平和の象徴でもあります。, 洪水の後、ノアが放った鳩が、オリーブの小枝をくわえて戻ったように、神と人間の和解、平和、神の慈しみによる繁栄と神の祝福を象徴します。ユダヤの伝承では、オリーブは王、イスラエル、パラダイスにある命の木の象徴と考えられています。, イエス・キリストの称号です。過越の小羊が、イスラエルの民を奴隷から解放した出来事のしるしであるとすると、イエス・キリストの死は、人類を罪から解放し、自由を獲得させる出来事でした。神の小羊は、キリストの十字架での自己奉献を記念させるとともに、黙示録的な意味において、神の国の終末的完成を先取りする象徴であり、聖餐の本質を告げる重要なイメージとなっています。, 白バラは純潔、無垢、処女性を、赤バラは愛、殉教、キリストの受難を象徴します。また、花の女王とされるバラは、「棘のないバラ」として、聖母マリアとも結びつけられています。, 純潔を表し、マリアの処女性や無原罪の宿りを象徴し聖母マリアの花として知られます。また、球根が毎年芽を出すことから再生、永遠の命のシンボルともされています。, ミルラの木から採取され、その芳香が珍重された非常に高価な樹脂。乳香とともに、聖書によく出てくる香料です。新約聖書では、東方の三博士が幼子イエスへの捧げ物として持参しました。, アラビアや北アフリカ原産のカンラン科の高木である乳香樹から採取される白色の樹脂で、香水や薬品の原料として使われます。旧約聖書では、神によって神聖な香として定められ、祭壇で焚かれました。また、新約聖書では、東方の三博士が幼子イエスへの捧げ物として持参しました。, インドおよび東アジアの原産で、オミナエシ科に属する多年草ナルドスタキス「カンショウコウ(甘松香)」のこと。その根から高価なナルドの香油が調製されます。ナルドの香油は、埋葬の準備に用いられるものの一つで、首の細い小さなビンに入れて貯蔵されました。旧約聖書(雅歌1:12、4:13-14)にも新約聖書(マルコ14:3、ヨハネ12:3)にもナルドの名前が出てきます。「そのときマリアが、純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラ持ってきて、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りで一杯になった。 -ヨハネ12:3-, *写真の著作権表示についてはクリエイティブ・コモンズ・ライセンスによります。表示のないものは教文館所有、PD(パブリックドメイン)、またはCC0ライセンスです。.

旧約聖書(雅歌1:12、4:13-14)にも新約聖書(マルコ14:3、ヨハネ12:3)にもナルドの名前が出てきます。 「そのときマリアが、純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラ持ってきて、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。 日本鳥学会、ヒトと動物の関係学会、生き物文化誌学会ほか所属。. 聖書でのエピソード. 遠藤周作の作品「沈黙」を原作としたM・スコセッシ監督の「沈黙 サイレンス」が2017年公開することになりました。2度めの映画化ですね。, 日本からは主要キャストとして窪塚洋介さん、浅野忠信さん、イッセー尾形さん、塚本晋也さんらが参加し、ハリウッドからはリーアム・ニーソン、アダム・ドライバー、アンドリュー・ガーフィールドらが参加しています。, さて話題になっている「沈黙」ですが、深く重たい宗教的なお話です。あらすじを紹介しておきます。, 島原の乱後、宣教師クリストヴァン・フェレイラが、日本での布教でキリスト教禁止令に屈して棄教したという。弟子のセバスチャン・ロドリゴとフランシス・ガルペは宣教をすべく日本に潜入する決意を固める。 ロドリゴはキチジローをすでに見限っており軽蔑していた。, 殉教を覚悟して牢につながれたロドリゴに、フェレイラが語りかけた。師の説得を拒絶するロドリゴは、連日遠くから聞こえる変な音を止めてくれと頼む。, しかしその音は、拷問されている信者の声であり、棄教を誓ったのにロドリゴが棄教しない限り許されないことが告げられる。, 信仰を守るのか、棄教によって苦しむ人々を救うべきなのか、究極の選択をつきつけられたロドリゴは、かつてフェレイラが棄教したのも同じ理由であったことを知る。, 夜明けに、奉行所の中庭で踏絵を踏むことになる。彼の足を襲う激しい痛み。そのとき踏絵のなかのキリストが「踏むがよい。お前のその足の痛みを、私がいちばんよく知っている。その痛みを分かつために私はこの世に生まれ、十字架を背負ったのだから」と語りかけてくる。, 神はキチジローの顔を通してロドリゴに語りかける「私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」「弱いものが強いものよりも苦しまなかったと、誰が言えるのか?」。, 踏絵を踏むことで神の教えの本当の意味を悟ったロドリゴは、自分が今でもキリシタン司祭であることを自覚する。, この「鶏が鳴いた」という表現はとても深く興味深いものなのです。夜明けだから単に「鶏が鳴いた」のではありません。, イエスは言われた、「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」。, ここでの意味は物理的に夜明け前という意味で、時間を表す表現でしょう。有名な節なので沈黙を読んで「鶏が鳴いた」という文を見た時にこの節を想起した人も多いのではないでしょうか?, という意味が込められています。これは鶏が鳴くことで夜が明けることからの意味づけです。, 日本には古来から「鵺鳥鳴ク(ぬえとりなく)」(この場合の鵺は鶏という意味)という表現があります。, ことを意味します。今までの信心が変革し、新しい信仰世界に到達したことを指すのです。, 短い簡素な文章ですが、「沈黙」のすべてがこの「鶏が鳴く」に集約されていると言っても過言ではありません。, 今度の映画化ではどのように「鶏が鳴く」という意味を表現するのか、とても楽しみです。, できればここに重きをおいてほしいなぁという、遠藤周作ファンとしての願いがあります。, 和む!養護教室の先生の結婚式にクラスの生徒がフラワーガールとリングベアラとして参加, 【やめる?】私が「kindle unlimited」を解約してしまった4つの理由【続ける?】. ヒンドゥー教、ジャイナ教、仏教(戒律の五戒で初期仏教の三種の浄肉以外)は肉食を禁止しているため、これらの宗教の信者は今でも多くが菜食主義者であり、精進料理を調理し食べる習慣がある[2][3]。, ラスタファリ運動も菜食を奨励する。キリスト教のセブンスデー・アドベンチスト教会では、ユダヤ教の戒律に準じた食品の摂取と菜食主義を奨励している。キリスト教文化においては、かつて金曜日はキリスト受難の日として肉食を避けるべき日とされ、魚を食べる習慣があった。, 現在でもポーランド、南ドイツ等のカトリック勢力の強い国あるいは地域では、この習慣が残っている。なお、正教会では今日でも、水曜日(キリストが裏切られた日)と金曜日には肉、魚、卵、乳製品、植物油、酒類を摂取しない習慣がある。ただし、カトリックにおける小斎、大斎、正教会における斎(特定の日に特定の食物の摂取を控えること)は、厳密な意味の食のタブーではない。実際、ローマ教皇庁は金曜日に肉を食べてはいけないとの公表はしていない。正教会の場合、斎の実行は、個人の自由意志に基づくものとしている。, 道教の道士は肉や魚、ニラやニンニクの類などの五辛を禁じられていた[4]。また、長生きするためには火を使った料理を食べてはいけないと説かれていた[5]。, 特定の食材が心理的な背徳感を喚起するため、食用とすることができない。役畜(ウシやウマなど)、ペット動物(イヌ、ネコ、ウサギ)、高い知能を持つと考えられている動物(クジラなどの哺乳類)、絶滅危惧種など、社会で高い価値が認められている動物や植物がこれにあたる。これらに対するタブーは立法化されることが多い。また、一般に食用と考えられている動物でも、ペットとして接することによって特定の個体が擬人化され、食材とみなすことができなくなる場合もある。社会価値の変遷により、何をタブーとするかは同じ社会においても急速に変化する可能性がある。

今後は昆虫食のように品種改良や食糧危機、宇宙開発において限られたスペースでの効率的な栄養摂取出来る生物の養殖などの理由でタブーが変容する可能性がある。, 食のタブーが法律によって強制力を持つ例もある。これは異なる食文化への迫害や、人権蹂躙であると主張される可能性がある。たとえば香港では中華人民共和国に主権が返還されたが、イギリス植民地時代に定められた犬肉・猫肉の供給を禁じる法令が撤回されないままになっており、同じ文化圏に属する広東省の食文化との食い違いが見られる。, 特定の食物の組み合わせが禁忌となる場合があり、これを合食禁と呼ぶ。例えばユダヤ教のカシュルートでは、魚と卵を除く動物から得られた食品と乳や乳製品を食べ合わせることを禁じており、この二つを食べる場合は地域にもよるが、1時間から数時間の間隔を置かなければならない。これは聖書の『申命記』にある「(動物の)母の乳でその子を煮てはならない」という記述にもとづく(厳密にはこれは「母の乳で子を煮込めば悲しみで雨が降るだろう」という考えに基づいたまじないの儀式のことであり、「実際に食べてはならない」というよりは偶像崇拝やまじないを禁じた記述である)。厳格なユダヤ教徒は食器から食器洗い機にいたるまで、肉用と乳製品用のものを別にしている。そのため一例として「チーズバーガー」は食べられない。, また、アジアや北アメリカでは、陸生動物と海棲動物を同じ鍋で同時に調理してはいけないというタブーが普遍的に見られる[6]。ただし、両方を同時に食べることに制限はない。, 日本の武家の料理である式正料理は膳の左側に山のもの、右側に海のものを盛りつけ、食べる時もまず山のものを食べ、次に海のものを食べ、最後に里のものを食べる、という順序が決まっていた。大林太良によれば、こうした和食の配膳や作法は宇宙の秩序に従ってものを食べなければならないという考えの現れであるという[6]。, 多文化主義が浸透している社会では、特定の宗教や信条によって課せられている食のタブーに配慮した食事を選べるようにすることが普通になっている。宗教や医学的な背景から、多くの国籍(宗教)の人の利用が想定される国際線航空便の機内食の場合、会社にもよるが、出発24~48時間前までに申し込めば、イスラム教やユダヤ教、菜食主義者など特定の宗教や信条に対応した料理や、低脂肪、低塩分、低(高)タンパク質などの料理といった、特別な機内食が配られる体制を持っている会社が多い。この他、学校や病院の給食でも同様の対応が見られる。, 宗教による食のタブーはステレオタイプに理解されがちだが、どの程度遵守あるいは違反を許容するかは、地域・集団や個人による。他の集団との交流が一般的な現代の都市生活では厳格すぎる規律は支障が多いため、実態としては多様化の傾向にある[7]。例えばカシュルートで知られるユダヤ教徒のなかでも、合理的に考えて納得出来ない規範はあえて無視する改革派のラビや、タブーをまったく意に介さない世俗派と呼ばれるユダヤ教徒が現れている。ユダヤ教徒が多いイスラエルのテルアビブでは豚骨ラーメン店が増えており、ある来店客は「世俗派なので豚肉を食べる」と話している[8]。, イスラム世界では禁止される酒の製造・販売や飲酒が、人目を避けて行われている国も多い[9]。, 一方で、自らが信じる食のタブーを基準に、他者を非難・攻撃し、時には殺害に及ぶ者もいる[10]。, イギリスの文化人類学者、メアリー・ダグラスの『汚穢と禁忌』によれば、食の禁忌は分類上の落ちこぼれが持つ中途半端な属性がケガレとされたことに理由があるとされている。例えば牛やヤギは四足で蹄が割れており反芻胃を持つのに対し、豚は蹄が割れているが反芻をせず、また兎は反芻はするが蹄が割れていないなど、分類上中途半端であるがゆえに禁忌とされたことになる。, マーヴィン・ハリスは、宗教上の禁忌食の多くはコストとベネフィットの関係から、不経済な食料獲得を戒めたことに端を発した可能性を指摘している[11]。例えば、レビ記ではブタを食べることを禁じているが、森林開発が盛んだった紀元前1200年頃のパレスチナでは、森を利用する養豚は非常にコストのかかる事業だったことに因るという[11]。他の禁断の動物も、人間の生活に有用な駄獣や、労力に見合わない狩猟の獲物がそのほとんどを占めている。また、ヴェーダ期のインドではウシは一般的な食物であり、牛肉は権力を維持するために民衆へ振る舞われる授与物だったが、急激な人口の増加によって紀元前600年頃に供給が追いつかなくなり、バラモン層は菜食を呼びかけるようになった。ウシは農耕用の駄獣として不可欠な存在であったため、民衆がそれを食べる誘惑を断つためにヒンドゥー教では牛が聖獣と見做されるようになったという[11]。, 健康上の理由が禁忌につながった可能性もある。たとえば、未調理の豚肉を食べることは旋毛虫症、E型肝炎に罹患する恐れがあり、多くの海産物も食中毒の恐れが高いとされる場合があるが、これらの考え方は俗説にすぎないという批判もある(詳細はカシュルートを参照)。, バリ・ヒンドゥーなどを除く多くのヒンドゥー教徒はどんな肉も全て忌避する。特に牛はヒンドゥー社会では神聖なものであるとされ、ほとんどのヒンドゥー教徒は牛肉を食べない[2]。しかし過去、カーストに属さない不可触民は屠殺を生業とすることがあり、牛肉を食べることがあった。現在、牛肉食はインドでもところどころで受け入れられるようになってきた。インド産以外の牛肉なら食べてもよいと考えるヒンドゥー教徒もいる。牛乳や乳製品は牛を傷つけずに得られるため禁忌とはされず、むしろ積極的に消費される。, 台湾の年配の人たちにも牛肉食を控える傾向がある。牛は農業に有用なので食べることは間違っていると感じられるからである。また、カナダのアカディア人もかつては役畜としての役割を終えた牛のみを屠殺して食用にした。, モーゼ法の時代から、厳格なユダヤ教徒は馬肉を食べない。馬は蹄が割れておらず、反芻もしないので、この肉を食べることは禁じられている。, 英語圏では馬肉はタブーとされることが多く、馬肉の供給はしばしば非合法でさえある。ロブスターやラクダのように、ユダヤ教やキリスト教のある宗派にとっては馬肉が禁じられている。西暦732年に、トゥール・ポワティエ間の戦いの直後に軍馬の供給が重要視されたため、教皇グレゴリウス3世はユダヤ教の禁止令と同じくレビ記にもとづき、異教の「嫌悪感を催す」馬肉食の風習をやめる取り組みを始めた。1000年にアイスランドにキリスト教を布教した際、教会関係者はアイスランド人に馬肉食を禁じないことを約束せねばならなかった。, 馬肉に対する態度には文化的に近い民族や同じ民族の中でも大きな違いがある。例えばフランスではイギリスと違い必ずしもタブーではなく、大韓民国では馬肉食の習慣は一般的ではないが馬産の伝統が長い済州島は例外である。中国ではさまざまな動物の肉を食べるのに、馬肉を食べる習慣はあまりない。これは明の李時珍がまとめた『本草綱目』に、馬肉が「辛、苦、冷、有毒」という性質で、傷中を治し、余熱を下げ、筋骨を育て、腰や脊を強くし、壮健、飢餓感を抑える効果があるとする[12]とあり、薬効は認めながらも、むやみに食べてはならないと記載されていたことが大きい。, 日本では名馬の産地として知られた東北地方など地方によってはかなり古くから食べてきた。コンビーフやソーセージなどを馬肉で作ることもある。なお、競馬関係者及び競馬愛好者の間での馬肉食を敬遠する者もある。, ユダヤ教徒にとってラクダの屠殺と摂食はモーゼ法によって厳格に禁止されている。ラクダは反芻するにも拘らず、外見上は蹄が分かれていないからである。イスラム教ではラクダを食べることを禁じておらず、アラビア半島やソマリアなどの乾燥地帯ではよく食べられている。, トナカイはアラスカ、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシア、カナダではよく食べられている。北欧諸国ではトナカイは伝統的な食肉用の家畜、「北の牛」と考えられている一方、家畜としてのトナカイが一般的でない欧米のその他の国ではむしろサンタクロースの橇を引く役畜と考えられているからである。, 日本の岩手県遠野市のおしら様を奉じる家では、鹿肉の消費を禁忌とした[13]。おしら様を信仰している家では鹿のみならず「四足」の牛や豚、さらに「二つ足」の鶏であっても、肉類の食用は憚られる。タブーを犯すと、「口が曲がる」という。このタブーを嫌がり、おしら様の信仰をやめた家も多い。, 古代メソポタミアでは、豚は卑しい物とされていたが、食べられていた。馬、犬、蛇を食べることはタブーであった。, 古代エジプトでは、豚と牡山羊は不浄な物として、神殿への生贄としての持ち込みが禁止されていた。しかし庶民は気にせず食べていたし、養豚も行われていた。, 豚肉を食べることは、イスラム教、ユダヤ教、セブンスデー・アドベンチスト教会で戒律上、禁じられており、現在でも比較的良く守られている[2]。この決まりごとには様々な論理があるが、禁じている考え方それぞれ全てに受け入れられている論理はない。「不浄である」と考えられていることは、下記の点によるとされている。豚は本来、非常に清潔好きな動物であり、飼育環境の劣悪な養豚場に詰め込まれ、人間に不浄という濡れ衣を着せられてしまった面もある。しかし、下記4.にある通り近親交配をする動物の肉を医食同源に似たような観念からそれを忌避するという倫理的な理由も存在する。, なおイスラエル国防軍では必要に迫られた場合のみ豚肉を糧食として用いてもよいが、豚肉に触れた食器は全て使用後に捨ててしまう。, キリスト教ではエルサレム会議にて規制を廃止したため、聖書の規定に関わらず摂食は自由となった。ただし近代になってから興った教派の一部には禁じるものもある。, かつてハワイ王国では、カプという掟により女性は豚を食べることを禁じられていた[14]。, ノウサギは旧約聖書『レビ記』において特に不浄な動物であると述べられていて、ユダヤ教徒及びユダヤ人のキリスト教徒はこの禁忌を固く守っている。, ヨーロッパではジビエとしてノウサギを食べる他、家庭で草や野菜くずを与えてアナウサギ(カイウサギ)を飼育し、肉用にニワトリを飼う感覚で屠殺して食べることも珍しくなかった。しかし、ウサギを食べる機会よりもペットとして接する機会が多くなった社会では、ウサギを食べることに抵抗を持つ人が多い。, 日本では現在はウサギをあまり食べないが、かつては一般的な食用獣であり、例えば徳川家でも正月にウサギ肉入り雑煮を食べたという。ウサギを「匹」ではなく鳥類と同様の「羽」と数える場合があるのは、「四つ足でない」ため食べてもいいというこじつけ(ウサギを鵜と鷺に読み替え鳥肉と偽る)のためだったと言われる。ただし、この「羽」という数え方はあくまでウサギを「食肉」として扱う際の数え方である。, 西洋のほとんどの文化では、ネズミは不潔な害獣またはペットであって、人が食べるには適さないとされている。, クジラやイルカは鱗がない水棲動物なので、ユダヤ教では『レビ記』第11章の条件にあてはまらないため、カシュルートにより食用禁止となる。, イスラム教の『ハディース』には、浜辺に打ち上げられたクジラの死骸から食料を作っている場面が描かれ、それを食べてもよいか?と教友が預言者ムハンマドに尋ねたところ、「海から来たものなら死んでいるものでも食べてもよい」と答え、預言者ムハンマド自身、鯨肉を食べたと言われている。, キリスト教の大多数の宗派も同様である。イギリスの王ヘンリー6世はイルカ料理を好み[15]、またイギリスの宮廷では、17世紀の終り頃までイルカの肉を食べる習慣があった[15]。フランスのパリでは16世紀、レストランの「トゥール・ダルジャン」が開店した際のメニューにイルカのパイ(Porpoise pie)が載っている[15]。, 欧米諸国では、20世紀初めまで鯨油を採取するため捕鯨が盛んに行われ、鯨肉を食べることもあった。日本、ノルウェー、アイスランドやフェロー諸島、大韓民国、インドネシアなどでは、伝統的にクジラが食肉として食べられている。, 日本でも、古くから西日本を中心とした捕鯨を基幹産業とする地域において食用になっており、現代でも文化を引き継ぐ千葉県、神奈川県、山梨県、静岡県、和歌山県、沖縄県などの地域では、スーパーマーケットでイルカ肉が売られている。戦後の食糧政策で鯨肉は日本中で一般的に食するようになり、最盛期には学校給食に安く卸されていたり、大和煮の缶詰として安く市販されたりしていた。, また、捕鯨を禁止している国でも、アメリカ合衆国アラスカ州など、先住民によって捕鯨が行われ、脂身をも食す地域がある。北海道などに居住するアイヌでは干し肉も食した。, イスラム教徒(ムスリム)やユダヤ教では、肉食獣を食用にすることを禁じているため、犬(狗)・猫ともにこの禁制が適応される。, 「犬食文化」をもつ国々では、犬をペットとして飼う一方で食用にもしており、朝鮮半島のヌロンイやハワイのハワイアン・ポイ・ドッグ、メキシコのコリマ・ドッグ、南アメリカのテチチのような食肉専用の犬種も作出された。しかし、犬を主に愛玩動物と見なす近代欧米の習慣が浸透するにつれ、文化摩擦を引き起こす例がある。, 日本においても、中世以前においては赤犬などがしばしば食用とされていた。しかし、江戸時代の途中から徳川綱吉による生類憐れみの令の影響により禁忌となった。明治以降では太平洋戦争後の食糧難の一時期を除いて、犬を食用とする文化はごく一部を除いては無くなっている。, イエネコを食用とするタブーは、人類に身近な愛玩動物を食肉として扱うという点で犬食のタブーとの類似点が多い。猫食文化は世界中に散見され、飢饉や経済的窮乏と関係なく猫肉を嗜む文化が存在するが、犬と同じく、愛護団体からの抗議運動が起こっている[16][17]。, BBCは、2015年、中国・天津市の民家で食用猫200匹が保管されていた事件について、「中国では、猫食は広くタブーとされているものの、いまだ農村地帯では食されている」と説明しながら、インターネット上で猫を食用にすることについて抗議活動が発生したと報道した。

人間と自然との距離が今よりもずっと近かった古代。人々は、地震や津波、雷、大風などの自然現象にも、太陽や月などの天体の内にも、神や、神に類する霊的な存在をはっきりと感じ、その現象や運行に「神の意思」を見ていた。 そんな時代に語られた、神々や英雄の物語を、我々は「神話」と呼ぶ。 多くが世界の創造――「創世」から始まる神話の中で、神々は人間と同じような生活を営みながら、ときに争い、ときに冒険をした。強い力をもった怪物や、物語の中心に座す神々とは異なる神族が登場し、神々や人間を脅かすこともあった。 神の世が崩壊し、神々が地上から消え去ったのちに人間の時代が始まったとするのが、多くの神話に見られる物語の流れだ。そんな世界の神話群にあって、神々は滅びず、世界が再生されることもなく、神が自然に人間へと変化へんげして、今も地上に生き続けていると綴るのは、日本における神々の物語である。, そんな各地の神話には、さまざまなかたちで鳥が登場する。 ふだんは人間の姿をとって暮らす神々の変化した姿としての鳥。助言者、協力者、高位の神から地上に生きる神や人間を導くように命じられた存在としての鳥。怪物としての鳥。 多彩な姿が、そこには見える。, 常に特定の神のそばにいる鳥、また、その神の象徴とされた鳥は、聖なる鳥「聖鳥」と呼ばれた。 そうした鳥は、日常の中にいる「あたりまえの存在」であると同時に、その神と強く結びついた「特別な存在」でもあり、帯びた神性から、一部は崇拝の対象にもなった。 ローマ神話の女神ジュノーの聖鳥は、ガン。ギリシア神話の主神ゼウスの聖鳥はおもにイヌワシで、女神アテナの聖鳥は知恵の象徴とされたコキンメフクロウだった。 紀元前500年頃のギリシアでは、アテナとコキンメフクロウがそれぞれ片面を飾った硬貨もつくられた。それは、アテナへの愛と信仰のひとつの結実といえる。 インドでは、ヒンズー教の創造神であるブラフマーの聖鳥がハクチョウであったり、メソポタミアでは、シュメール神話の「戦いくさと豊穣の女神」でもあったイシュタルの聖鳥がクジャクバトであったりした。 さらに神話の中には、世界の半分を覆うほどの翼をもった巨鳥や、定期的に死と生を繰り返すことによって永遠の命を維持する鳥さえも存在した。, 神話に登場する鳥は、その時代にその土地に暮らし、神話を語り継いだ人々の認識の広がりの内にいた存在である。それゆえに、人々と接点のない鳥は神話には登場しない。 その地域でよく目にする鳥は、高い確率で神話を織りなす一員となっていった。 唯一の例外は、当時の人々が精いっぱいの想像でつくりあげた恐ろしい怪物としての鳥だが、そのフォルムにさえ、機知の鳥の姿が少なからず反映されていた事実もある。, ただ存在するだけで形も定まっていなかった世界の中、神々が暮らす場所――、のちの日本となる「国土」を生み出すように、高天原たかまがはらの高位の神から命じられたのは、イザナギとイザナミという2柱の神だった。これが日本神話の冒頭のエピソードである。 だが彼らは、国を生み出すやりかたがわからず、困り果てていた。 そこに、一羽のセキレイが現れる。 セキレイこそが、日本神話で最初に登場する生き物である。 セキレイが尾を上下に動かす姿が示唆となって、イザナギとイザナミは生殖の方法を知る。そして、無事に国土を産みだすことができた。鳥によって、啓示がもたらされたのだ。 セキレイがいなければ日本という国も、そこで暮らすすべての生きものも誕生しなかった。それゆえに、セキレイこそが日本神話の最初の要だったということもできる。 なお、神話が語られた時代、日本列島の西部に暮らした人々にとって、もっとも身近にいたセキレイ類はセグロセキレイだったことから、このエピソードの鳥はセグロセキレイだったのではないかと推察されている。, 東北地方から北海道、サハリン(樺太)に暮らしていたアイヌの人々の創世神話においては、村ごとにさまざまな物語が存在するが、その中には、日本の神話と同様、セキレイの尾の動きから男女の交わりのヒントを得て、そのおかげで大地に人間が増えたというものがある。また、創造主が大地を生み出す際、助手的立場でセキレイがそれに関わったという逸話もある。 世界の創造にあたり、天に住まう神々の主・天帝は、セキレイを地上に降ろした。セキレイは、天帝の手によって盛り上げられた土(大地)の上を歩き、羽をバタバタとさせながら跳ね回り、尾を上下に振る。そうすることで、でこぼこだった土地を平らにならした。その命令が今も生きているために、セキレイは地上では尾を上下に振って歩くのだとアイヌの神話は告げる。, アメリカ先住民が伝える神話には、カモが海に潜り、嘴くちばしですくい上げた泥から人間が暮らす世界がつくられたという、鳥がより直接的に創世に関与した話も残されている。 オーストラリア先住民アボリジニの創世神話には、人間の笑い声のような声で鳴くことからその名がついたワライカワセミが深く関わっている。 創世まもない世界に毎朝、陽を昇らせる重要な役目を任されたのは精霊たちだった。精霊がうっかり寝過ごすと世界に昼が訪れなくなってしまう。そのため、しっかり目覚めさせる「目ざまし役」(=モーニングコール役)として、だれより早起きだったワライカワセミがその任についたのだという。他の土地ではニワトリが担うことの多い役目をワライカワセミが託されたことを、とても興味深く感じている。, 今から3600~3900年ほど前に生きた古代エジプトの人々は、「ベンヌ」という、霊鳥にして神でもある存在を崇めた。ベンヌは、一年を通してナイルの河畔に生息しているアオサギがモデルとされ、その姿でのみ描かれて、人間の形状はとらない。 ある言い伝えによれば、天地と神々を創造したとされるアトゥム神(のちに太陽神ラーと習合して、「ラー・アトゥム」と呼ばれるようにもなる)は、ベンヌとして、「混沌の海(原初の海)」=「ヌン」から、みずからの力、みずからの意思によって生まれたとされる。 一方で、ベンヌが混沌の海から太陽の卵をすくいあげ、それを抱いて孵したことで太陽および太陽神が生まれたという物語も、言い伝えの中には存在していた。いずれにしてもベンヌが、古代エジプトの神話における「はじまりの存在」だったことはまちがいない。, ベンヌは毎日、夜明けとともに生まれ、日暮れに死んでいく。ただし、その死は永遠ではなく、翌朝また甦ってくる。つまり、生と死を内にもち、それを支配する者という認識がもたれたため、生と死を司る神であるオシリスとの関係も深いと考えられた。 こうした生い立ちから、ベンヌは、アトゥムやラー、オシリスといった、古代エジプト神話の中心にいた神の核、すなわち、その「魂」であるとも考えられた。 500年ごとに燃え尽きて死んでは、その灰の中から再生を繰り返すと想像された幻鳥のフェニックス。エジプトやギリシアにおいて聖なる鳥とされたこの不死鳥のモデルも、ベンヌだったと考えられている。, エジプトにおいては、壁画やパピルスなどに神の姿が描かれた際、アトゥム神が人間の姿で描かれたのに対し、太陽神のラーは人間の体にハヤブサの頭部をもつ神として描かれた。また、その頭上には、しばしば、太陽の象徴である赤い日輪も描かれていた。 天空と太陽の神であり、ハヤブサの神であるホルス神もまた、ハヤブサの頭部をもつ神であり、頭上に赤く丸い太陽が描かれた絵も多数残っている。 太陽神が鳥の頭部をもつ神として描かれたのは、高位の神と鳥が結びつけられて認識されたと同時に、翼をもった鳥と太陽が切っても切れない関係にあると、人々から考えられていたためでもあったようだ。 なお、ホルスの母親で、生と死と豊穣を司る女神のイシスもまた、トビの姿や、背中にトビの翼をもった姿で描かれることがあったことを追記しておく。, 空を飛ぶには、やはり翼が不可欠――。 そんな意識が、天空を移動する太陽の絵にも翼を付け加えた。 ふだんは見えないが、実は太陽にも翼があると信じた古代の民族は多かった。古代のエジプトを筆頭に、メソポタミアやその周辺の国家にそうした信仰の痕跡を見る。 それがはっきりとわかるのが古代エジプトの壁画やパピルスの「有翼日輪」の絵だ。文字どおり、太陽が丸い姿ではなく、その左右に1対の翼が付属した形で描かれる。, 太陽は明るすぎるので、ふだんはその姿を直視することができない。だが、それが可能になる日蝕のとき、月の陰に隠れた太陽には翼のように、長く二方向に伸びた光の帯が見えることがある。 太陽黒点が少なくなる時期(極小期)にのみ見ることができる、太陽の赤道方向の左右に長く伸びたコロナ(赤道型コロナ)は、見方によっては確かに広げた翼のようにも見える。それが、古代エジプトなどで「有翼日輪」として描かれた「翼の生えた太陽」の原型だったのではないかと指摘する研究者もいる。 ふだんは見えていないだけで、実は太陽にも翼があるのだと、神に仕える神官が人々に示すには、こうした条件のもとでの日蝕こそが、絶好の機会だったのかもしれない。 いずれにしても、日蝕時にのみ見ることのできる特別な姿が、地上に生きるあらゆる生き物にとって必要不可欠な太陽に、神性と神秘性を与えるのに都合のよいものだったことは容易に想像がつく。, 中国の神話においては、太陽の核、あるいは魂ともいうべき存在がカラスであり、そのカラスは3本の脚をもつとされた。太陽の精気が集まってカラスの姿になったとも考えられ、そのカラスが太陽の中に棲んでいると信じられていた。 「偶数を陰、奇数を陽」とする陰陽の思想において、陽である「太陽」の中の存在が偶数であってはならない。それゆえ、カラスの脚は2本ではなく3本となったと説明される。, 中国神話には、ある日、天空に10個の太陽が現れ、地上はその熱により焦土と化す寸前までいったが、弓の名人である羿げいが9つの太陽を射落として1つに戻したことで世界は救われたという逸話がある。これは、一般に「射日神話」と呼ばれる。羿が射たのは太陽の中にいたカラスで、9羽のカラスを射殺すことで彼は世界を救ったのだという。 日本の熊野本宮大社の八咫烏やたがらすが3本足の姿で描かれていたり、日本サッカー協会のシンボルである八咫烏が3本足なのは、こうした中国の神話が伝わり、広がったためである。なお、日本神話の八咫烏には、もともとは3本足という設定はない。, 古代エジプト神話のラーやホルス、ギリシア神話のアポロンやヘリオス(ローマ神話では、それぞれアポロ、ソルに相当)、北欧神話のソール(インド神話の太陽神スーリヤも同じ語源)、日本神話の天照大神あまてらすおおみかみ、アイヌ神話のトカプチュプカムイなど、多くの神話に太陽神が存在した。それはとりもなおさず、昼を生む太陽を「神」と崇めた民族が多かったことを意味している。 エジプトの太陽神の多くが鳥の頭部をもつ存在だったことに加え、翼のある太陽「有翼日輪」の絵も残る。ギリシア神話のアポロンには、ワタリガラスに変身して危険な相手から逃れたというエピソードもある。太陽=カラスとされた中国神話の例もある。 このように、いくつもの神話が、太陽、あるいは太陽神と鳥が少なからぬ接点をもっていたことを伝えている。, 地上にある神や人間を助け、導く鳥もいた。多くの場合それは、その鳥の意思ではなく、より高位の神からの指示による。例としてよく挙げられるのが、日本の「八咫烏」だ。 日本神話の後半、神武天皇が九州の高千穂から近畿の大和を目指して東征する旅において、紀伊半島南部の熊野から大和に向かう途中、その土地に暮らす荒ぶる神への対策と道案内役として、高天原が神武天皇のもとに遣わしたのが、巨大なカラス、八咫烏だった。 『古事記』に記述はないが、金色のトビもまた、神武天皇の手助けのために高天原から派遣されたことが『日本書紀』には記されている。, アイヌの神話において、人々を導く存在として大きな役割を果たすのは、シマフクロウである。アイヌ神話では、天上の神によってつくられた鳥は、神の遣いであると同時に、神格をもつ存在でもあった。シマフクロウは、天上の主神が最初につくった鳥であることから、鳥の神の筆頭とされた。 アイヌの人々を守り導くために地上に派遣されたのも、シマフクロウの存在の重さゆえである。 「モシリ・シカマ・カムイ」(国を守る神)とも呼ばれたシマフクロウは、アイヌの人々が暮らす土地を守り、特に暗い夜間に周囲に目を光らせるために天上から派遣された神であると、アイヌ民族に伝わる叙事詩(ユーカラ)は語る。, 神話の時代の物語として、神話とともに欧米人に広く親しまれ、信仰の対象となってきた旧約聖書、新約聖書にも、鳥が登場する。なかでも特に印象的なのが、人間や動物たちが巨大な箱船に乗り込むことで、地上を覆う大洪水という災厄から逃れた「ノアの箱船」のエピソードだろう。 洪水がおさまりかけたとき、あたりの様子を確認するためにノアがまず空に放したのはワタリガラスだった。だが、もとより自由な気質の存在であり、長時間飛び続ける力もあったワタリガラスは、待てども、待てども、ノアのもとに戻っては来なかった。 次いで、ノアはハトを放つ。 ハトがオリーブの小枝をくわえて戻ってきたことで、ノアは大洪水の水が引き始めたことを知る。分布圏や当時の人間との関係から、このハトはカワラバトだった可能性が高い。, 聖書にカラスが登場するシーンはいくつもあるが、記されているカラスはすべてワタリガラスである。実は、各地の神話や、神話の時代の物語に登場するカラスの多くがワタリガラスだった、という事実がある。, 神に仕える鳥としてよく知られているのは、北欧神話で主神オーディンのもとにいる、フギンとムニンという二羽のカラスだろう。 フギンとムニンはオーディンの命を受けて世界中を飛び回り、戻るとオーディンの両肩に止まって、見てきたことを報告する。彼らのおかげでオーディンは、ヴァルハラ宮殿に居ながら世界のすべてを知ることができた。 このフギンとムニンも、ワタリガラスである。, ギリシア神話の太陽神アポロンもカラスを使役した。そのカラスはワタリガラスで、かつてはハクチョウも羨むほどの純白の羽毛をもっていた。 優れた偵察能力に加えて、人の言葉を話す知力もあったそのカラスは、ある日、アポロンの子を身ごもった彼の思い人のコロニスがほかの男とも密かに会っていると、アポロンに告げ口をする。 アポロンは怒り、激情に動かされて、コロニスを射殺してしまう。後悔と行き場のない怒りから、アポロンはカラスの羽毛を黒く変え、以後カラスは永遠にコロニスの喪に服するために黒い鳥になったのだという。, 聖書、北欧神話、ギリシア神話のカラスだけでなく、日本神話の八咫烏も、ふつうのカラスよりもはるかに大きな体躯をしていたと記紀(『古事記』と『日本書紀』を併せた略称)に記されていることから、ワタリガラスだった可能性が指摘されている。, 数多のカラスがいる中、古代においてワタリガラスは、ほかのカラスとは違う、特別な存在だったらしい。 ヨーロッパでは、紀元前からワタリガラスについて、未来のことを予言する鳥という共通認識もあった。ただし、彼らは良い未来だけを告げるわけではなく、この先にある破滅的な悪い未来をも予言する。個人にとって都合の悪いことも口にする。「告げ口屋」というイメージがもたれたのもそのためだ。 このように、ワタリガラスには清濁両方のイメージが存在したが、それでも無視できなない特別な鳥だった。特別な役割をもって多くの神話に登場するのも、ほかのカラスとは異なる存在という認識が各地の人々の意識にあったためだろう。, 多くの神話において、神々の座は天空にあるとされた。だが神といえど、人間と同様、地球の重力に縛りつけられた存在であり、自身の力で自在に空を飛ぶことはできない。 翼をもたない神々は、地上では歩くか、馬に乗るか、馬車や古代の戦車に乗るかしなくてはならならず、空を飛ぶ場合も、空を飛べる何らかの移動手段を使う必要があった。もしくは自分に代わって空を飛んで移動し、状況を確認したり行動を起こす存在を必要とした。 オーディンが使役するワタリガラスの例を見てもわかるように、後者の中心はもちろん鳥である。 日本神話において、天空の高天原から派遣されるのは、八咫烏にしても、監視者にして伝言を伝える者である「鳴き女」という名のキジにしても、鳥でなくてはならなかった。, 天空の移動に利用されたのは、巨鳥や天馬ペガサスなど、翼あるものたちである。 ペルセウスは、ヘルメスから与えられた翼のあるサンダルを使って空を飛んでいるが、それはきわめて特殊な例となる。 もっとも、そのサンダルにしても、鳥の「翼」がついていることで飛翔が可能となる、という点を突き詰めて考えたなら、それもまた鳥からの力の借用であり、間接的な鳥の関与と考えるべきだろう。 ペルセウスが岩に縛られたアンドロメダ姫を見つけたのも、このサンダルを使って空を飛んでいたときのことだった。サンダルについた鳥の翼がなければ、ペルセウスの物語においてとても重要なこの場面も存在しえなかったのである。, インド(ヒンズー教)の神話において、神ビシュヌは、聖なる乗り物として、ガルーダという名の巨鳥を使役し、その背に乗って世界を移動した。 日本神話では、神々は、「天鳥舟あめのとりふね」という名の、神にして移動手段でもある存在に搭乗させてもらうことで、天と地上とのあいだを行き来する。 天鳥舟については、記紀にはその形状の記載はなく、どんな姿をしていたのか不明だが、「鳥舟」という名称からも察せられるように、いずれにしても飛行には「鳥」または「鳥の翼」、もしくはそれに相当するなにかが必要とされたと考えることができそうだ。, 鳥を使役するのも手だが、自分自身が鳥になってしまえばもっと都合がいい。そういう考え方もあった。 一時的に「鳥になる」こと。それが、空を移動するためのもうひとつの手段となる。鳥になれば、長距離移動も可能になる。自分の意思で、行き先を決めることもできる。走るよりずっと早く移動できることも、鳥になることの大きな利点だった。 ギリシア神話では、必要時に、多くの神が鳥の姿を取った。変身の多くは自身の欲望を満たすためだが、敵や追手から逃れるために鳥に変身する例も少なからず存在した。, 神の鳥への変身譚は、死後に鳥へと変化するものと、生きながら、みずからの意思によって鳥に変わるものに大別できる。 変身・変化においては、体の一部が鳥となっているケースもある。その多くは、背に翼をもったり、頭部が鳥の形状になる。例としては、ハヤブサの頭部をもつ姿が描かれることもあるエジプト神話のホルスのほか、トビの翼をもった姿で描かれるイシス、アフリカクロトキの頭部をもった知恵を司る神トートなどが挙げられる。 このほか、一部の神話においては、神の力によって、人間やほかの神が鳥の姿に変化させられた話も存在した。, 古くから各地に伝わるのが、死後にその魂が鳥へと変わるエピソードである。 日本神話には、大和への帰路の途上で力尽きたヤマトタケルの魂が、御陵(墓所)からハクチョウとなって飛び立ったというエピソードが残る。 飛び立ったハクチョウ(ヤマトタケルの魂)は、はるかな空の彼方へと飛び去っていく。そこには、季節がめぐると渡り去る水鳥を霊的存在と認識する、弥生時代から続く原始的な宗教の影響が見える。, 古代エジプトにおいて死者の魂は、鳥や、人間の頭部をもつ鳥「バー」の姿で描かれた。その姿は、死者とともに埋葬された葬祭文書「死者の書」などに見える。テーベで発見された「アニのパピルス」にもそうした翼ある存在が描かれていた。 死した後、その魂が鳥へと化身する話は多い。アニミズムが支配的だった文明化する以前の原始的な社会において、飛ぶ鳥を、死者の魂の運び手や、魂そのものとみなす思想が世の東西に広く存在していたことが大きい。, 鳥に変身した神のエピソードが多いのは、なんといってもギリシア神話だ。 主神であるゼウスは、思いを募らせたスパルタ王妃レダのもとをハクチョウとなって訪れ、その姿のまま交わって懐妊させる。 鳥として交わったがゆえに、身ごもった女性が産むのは人間の赤ん坊ではなく卵。レダが産んだ卵の1つから生まれたのが、トロイア戦争の発端となった美女ヘレネとされる。だが、卵の形で出産されるものの、卵から孵るのは鳥の雛ではなく、人間の赤ん坊である。, こうした誕生のエピソードはのちの文学にも大きな影響を与えたようで、「ターザン」で有名な作家エドガー・ライス・バロウズが書いたSF「火星シリーズ」の中には、火星人はみな卵から生まれる、という設定がある。, なお、ゼウスに関しては、人間に火を与えた罪によって岩に縛りつけられているプロメテウスの肝臓を日々喰い続ける大鷲(そのイメージはイヌワシ)も、ゼウスが化身した姿であるという解釈もある。 またゼウスには、アポロンとアルテミスの母であるレトを懐妊させた際、ウズラ(ヨーロッパウズラ)の姿で近づいたという話もあった。また、レトの妹であるアステリアは、姉と同じように自身を誘惑しようとしたゼウスから逃れるためにウズラに変身して危機を回避したというエピソードも残る。, 強大な敵から逃れるため、「鳥に変化して飛んで逃げる」というタイプの変身譚も存在した。例えば、ゼウスとレトの子である太陽神アポロンは、超常の力をもつ怪物テュポーンに襲われた際、ワタリガラスに身を変えて飛び去ることで難を逃れている。, 変身譚からは少し離れるが、人間の祖先が鳥であったという神話をもつ民族もいる。アメリカ先住民のワイヨット族には、遠い祖先はコンドルだったという言い伝えも残る。 魔法や呪いによって人間が鳥に変化させられた話は欧州に多い。もともとが人間なので、呪いや魔法がとけると人間に戻る。人間を鳥に変身させるのは、おもに魔法使いなどに代表される悪意をもった第三者だ。, 作家。サイエンス・ライター。鳥を中心に、歴史と科学の両面から人間と動物の関係をルポルタージュするほか、先端の科学・技術を紹介する記事も執筆。おもな著作に、『鳥を識る』(春秋社)、『身近な鳥のすごい事典』(イースト・プレス)、『江戸時代に描かれた鳥たち』『知っているようで知らない鳥の話』『鳥の脳力を探る』『身近な鳥のふしぎ』(SBクリエイティブ)、『大江戸飼い鳥草紙』(吉川弘文館)、『うちの鳥の老いじたく』(誠文堂新光社)、などがある。



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